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伊勢神宮 内宮

伊勢神宮 内宮 参進

伊勢神宮内宮で参進を拝見しました。

初めて、この白装束の集団を見たときは驚きましたね。
何事が起こったのかと思いました。笑い^^!

伊勢神宮の内宮を参拝しておりますと、定時になると多くの神職に携わる神官や巫女さんの方達が整然と列を成し境内の中を行進されるのを目にすることが時折あります。

これを参進というそうです。

一般的には、神前結婚の儀を向かえる新郎新婦を神官や巫女さんが先頭に立ち神前に伴なう列を「参進の儀」といいます。

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最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!!この記事の情報提供は、伊勢神宮へ行こう!のオリジナル記事によるものです。それでは、今日はここまでです。又お会いしましょう。ごきげんよう!

伊勢神宮 内宮

伊勢神宮 内宮

伊勢神宮の内宮に興味をお持ちでしょうか?
以下が伊勢神宮内宮の一般的なデータをまとめたものです。

ところで、伊勢神宮の正式な名称は「神宮」といい、古式呼称は「伊勢太神宮(いせのおおみかみのみや)」といいます。そして、内宮・外宮・その他別宮全ての総称として「伊勢神宮」と表現します。

内宮の祭神は、「皇大神宮(こうたいじんぐう)」であり、別名「天照大御神」ともいいます。

               【伊勢神宮 内宮 概要】

<ホームページ>
http://www.isejingu.or.jp/

<住所>
住所 〒516-0023 三重県伊勢市宇治館町1

<問い合わせ>
神宮司庁     TEL(0596-24-1111 )

<参拝可能時間>
5:00〜17:00(季節により3パターンあり)

<休業日>
無休

<交通アクセス>
JR・近鉄伊勢市駅又は宇治山田駅より循環バスで約25分

<車>
伊勢自動車道伊勢西ICより約5分、約2km

<駐車場>
無料 414台(一般普通車300台)

最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。そんなあなたに幸運が訪れますように!そして、当ブログがあなたにとって有意義なものとなりましたでしょうか。この記事の情報提供は、当サイトのオリジナル記事と画像によるものであり著作権も伊勢神宮へ行こう!にあります。グッドラック!!

伊勢神宮 内宮

宇治橋 伊勢神宮 内宮

宇治橋についてご紹介したいと思います。
伊勢神宮内宮の宇治橋についていろいろ考えてみました。
これまた深いですね。

尚、神宮式年遷宮は宇治橋も架け替えるので、すでに工事が始まっており大まかな組み立ては完成しています。以下の画像をお楽しみ下さい。

★笑われないためにワンポイントレクチャー&アドバイスです。
伊勢神宮内宮の橋は、右側通行です。
伊勢神宮外宮の橋は、左側通行です。
つまり参道を歩く場合もそうです。

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この白い布が巻かれているのは、名称は判りませんが、川上から流木などが流れてきた際に橋の橋脚に直接当らないように橋脚線上に確か7つ作られていたと想います。最終的には撤去するのでしょうがいかにもこの白い布が巻いてあると神聖な感じが致します。ま〜なんでもそうなんでしょうが。
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因みに、宇治橋と云えば、京都府宇治市の宇治橋と、そして三重県伊勢市伊勢神宮内宮の参道入り口の前後二つの神明鳥居を繋ぎ五十鈴川に架けられた宇治橋です。

そして、この伊勢神宮の宇治橋は別名御裳濯橋(みもすそばし)と呼ぶそうです。

★そして、ここで一つの謎が浮上してきます。

この宇治橋の由来は、周辺の地名に多い宇治から取ったものだそうです。
一般論的通説では、山河に囲まれた地形の様子の内側の「内」の、「うち」という発音が転じ「うじ」になったという、どうにも困った無理な説が往来しています。一応京都発祥の根拠はあります。

一体、「宇治」という言葉と文字は、単なる音が変化したものに対する単なる当て字だったのでしょうか?

★宇治の由来とは?

やはり京都が絡んできます。
平等院も出てきます。以下を参照下さい。
南方熊楠翁、吉田金彦氏なども解説持論を述べています。

<宇治巡検(新歓巡検)>
参考文献:日本地名辞典、宇治市のWebページ
http://www4.kcn.ne.jp/~usuitoge//chimeinoyurai.htm

これを読んで納得は出来ませんけれどね。笑い^^!
因みに、菟道は現地では「とどう」と読みます。
宇治市の北東宇治田原町を知っている人間からすれば、伊勢市の宇治山田などの地形が到底同じに解釈するなど無理この上ないことを存じているので、もっと進んだ解釈に期待したいところである。

又、京都市内から山城を抜け奈良に行く街道の路が悪いからというのも、あそこが悪いなら往時の道というのは路という形容を出来ないほどのものだったのに、何をか況やである。全国に同じような条件で成立した語源の宇治の郷や宇治町や宇治橋ばかりになるはずである。当時の幹線道路であり、斉藤道三、信長、秀吉などが重要視し、関所やため池を作ったわけですね。

本当にこれからの研究に期待したいところであります。
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画像では敷き詰められた石しか見えませんが、橋の橋脚の下にはコンクリートが打ってあります。美観の関係であの大きな石が敷き詰めてあります。そしてこの石はお蔭横丁の裏の五十鈴川まで敷き詰めてあります。相当な手間だったと想います。
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